ブランクーシ(1876~1957)のブロンズ、金属、木でできた‘魚’はその造形からは魚と結びつかない。勝手なイメージは日本の石燈籠。輝くゴールド色とつるつるした質感に心を奪われる‘空間の中の鳥’や‘眠れるミューズ’とくらべてこれは木が多く使われているのであたたかい感じがし親しみがもてる。でも、これをどう魚にみるのだろう。
ムーアと同じイギリスのヨークシャー出身の女流彫刻家バーバラ・ヘップワース(1903~1975)の作品はイギリスの美術館以外ではなかなかお目にかかれない。1930年代になりヘップワースは抽象化に突き進むが、‘3つの形’はなにも抽象彫刻とみる必要がなく安心してみられる作品。
右は真ん丸の球。左は横に長くひきのばされた球体が2つ。前のほうは枕になりそうで後ろのボリューム感の豊かな方は炭俵を連想する。秋に入り熱い日本茶で和菓子を食べる時期になってきたが、この炭俵をみると広島にいたころ岡山へ主張した際よく買った銘菓‘俵饅頭’を思い出す。
ペンローズ(1900~1984)の‘クック船長の最後の航海’はシュールさが際立っている。なぜか鉄線で形づくられた地球儀の内側に首のない裸婦彫刻が置かれている。しかも体を橙色やえんじ色、紫で胸から足にむかってボディペインティング。タイトルと裸婦像がどうかかわるのはわからないが、アイデアには降参。
アメリカの美術館を訪問するとちょくちょくお目にかかるデイヴィッド・スミス(1906~1965)の大きな彫刻。テイトにある‘貨車Ⅱ’は月や火星の探査で活躍する高性能ロボットのイメージ。この形をぐっと小型にすると月の深い穴にも壁に吸いつくようにして降りていけそう。