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Channel: いづつやの文化記号
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美術館に乾杯! バルセロナ ピカソ美

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Img      中世の街並みが残るゴシック地区にあるピカソ美

Img_0004     ‘科学と慈愛’(1897年)

Img_0001     ‘待ち合わせ’(1901年)

Img_0002     ‘質素な食事’(1904年)

Img_0003     ‘ラス・メニーナス、ベラスケスによる’(1957年)

バルセロナへはじめて行ったのは1983年、当時住んでいたスイスのジュネーブからクルマで出かけた。何時間かかったかは忘れたがとにかく無事到着した。訪問した観光スポットはガウディがつくったサグラダファミリア聖堂、グエル公園、そしてゴシック地区にあるピカソ美。

ピカソ(1881~1973)がバルセロナへ家族とともにやって来たのは14歳のとき。その2年後に描いたのが‘科学と慈愛’、この絵をみたらピカソの絵を描く才能がとびぬけて高かったことがよくわかる。16歳でこれほどリアルな人物表現ができるのだから参ってしまう。

ピカソ美でどれくらいの数をみたか記憶がなくなったが、印象が強かったものは画集をみると感動がよみがえってくる。ピカソが20歳のときの作品‘待ち合わせ’も‘科学と慈愛’同様、収穫の一枚。ピカソはこの年、女性がこのモデルのようにテーブルにひじをつきその手を肩にもっていったり、あるいは顎をさわる姿を何点も描いている。

この絵のあと幸運なことに‘アブサント好きの女’(エルミタージュ)、‘アルルカンと女友達’(プーシキン)、‘シニヨン髷の女’(フォッグ美)などに遭遇した。パリのピカソ美にある‘自画像’を含め‘青の時代’に描かれた作品に魅了され続けている。

ピカソは1900年にパリへ出かけたあとモンマルトルに居を構える1904年まではパリとバルセロナを行ったり来たりしている。心にじんとくるエッチングの‘質素な食事’は青の時代の最後の作品。

第二次世界大戦後に取り組んだ美術史上の名作シリーズのなかで最もたくさん描かれたのがベラスケスの‘ラス・メニーナス’、スペインの大先輩だから力が入り1957年に58点も仕上げた。ここには5点くらいあった。その一枚が最後の絵。マルガリータ王女単独で描いたものも2点ある。

ピカソ美を訪問してから35年経った。もう一度行ってみたい。


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