金子みすゞ(1903~1930)の詩を絵にした中島潔(1943~)、最近はどんな作品を描いているのだろうかと思うけれど2002年以降回顧展にとんと縁がないので作品の思い出づくりが止まっている。日本橋三越がまた作品を集めてくれたらぐっと楽しくなるのだが。
‘大漁’はみすゞの詩の世界がストレートに伝わってくるすばらしい絵。数えきれないほどいる鰯の群れのなかにちょっと悲しそうな表情をした女の子が立っている。漁師にとっては鰯の大漁は顔がほころぶほどう嬉しいことだが、女の子は魚の死を悲しんで弔っている。みすゞははっとする詩を書いた。
大漁
朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰯の
大漁だ。
濱は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何萬の
鰯のとむらい
するだろう。
原田泰治(1940~)の農村を舞台にした童画をみていると川合玉堂の絵がダブってくる。‘山ふところの村’で使われている俯瞰の視点は勾配のきつい畑を印象づけるにはもってこいの描き方。こういう俯瞰の図は玉堂もよく描いた。画家にとって色彩感覚と構図のアイデアは天性のもの、原田の脳のはたらきはかなり柔軟。
十三代今泉今右衛門(1926~2001)の‘色絵吹重ね珠樹草花文鉢’は亡くなった年の作品。草花模様の配置が非常に緻密で重厚さをだした絵付けは芸術心にあふれる十三代ならではの作品、こんな名品をまだまだつくれたはずなのにすっとこの世から去っていった。